4月4日、青年法律家協会神奈川支部・自由法曹団神奈川支部による、ドイツ自然エネルギー視察に同行しました。
昨今、自然エネルギーの活用が盛んなドイツ。
まず最初に向かったのは、チェルノブイリ原発事故の直後から活動を始めた一般市民が設立したシェーナウ電力会社(EWS)です。
この時期のドイツはまだまだ寒い日が続いており、この日も日差しはあるものの最高気温は8℃と結構な寒さでしたが、EWS社内に入った途端とても暖かく、かと言って暑すぎない快適な温度に保たれていました。
後にご説明いただいた話によると、2004年に事業拡大のため移転したという現社屋は「パッシブハウス」という方式で建設されており
気密性・断熱性ともに非常に高く、暖房がほとんど必要ないということでした。
単純ですがそう言われると、エアコンによるものとは違い、優しい暖かさに包まれていることに気づきます。
迎えてくれたのはEWSのエファ・シュテーゲンさん(写真中央)。
パッシブハウス構造の社内はとても暖かく、自然光も上手に取り込んでいて明るい!
EWSは、チェルノブイリ原発事故をきっかけに原子力発電に疑問を持ったドイツ・シェーナウ市の住民が、安全なエネルギーを求めた様々な活動の末に、1997年に設立した電力会社です。
(EWSについて詳しくは『シェーナウの想い』というドキュメンタリー映画があります。
市民運動から電力会社設立、そして遂には既存の企業に打ち勝ち、ドイツだけでなく、世界中にその意義を示すようになった現在に至るまでが描かれており
「行動を起こさなくては!」という、どこか焦りにも似た、くすぶる気持ちを奮い立たせてくれる内容です。まだご覧になっていない方は是非。)
経営責任者であるウルズラ・スラーデックさんは2011年に「緑のノーベル賞」といわれているゴールドマン環境賞を受賞。
EWSはその他にもウルズラさんだけでなく、夫で医師であるミヒャエル・スラーデックさんをはじめ、ヨーロッパの環境に尽力したことが評価され、多方面から様々な表彰を受けられているそうです。
詳しいお話を伺うためロビーから敷地内に併設されている文化ホールへと案内していただいたところで、ウルズラさんが登場。
日本で前述の映画を観ていた私は、ミーハー心が悟られぬよう平然を装いながらも内心では
「っ!本物!!」とかなり興奮してしまいました。
「福島で起きてしまったことは非常に悲しいことですが、それをきっかけに、こうして皆様が訪れてきてくれることは嬉しく思います。
私たちから得られたものを皆様が日本に持ち帰り仕事やその他の活動で活かして頂ければ嬉しく思います。
私たちは日本が最終的に脱原発を果たされるよう心から願っております。」
ナチュラルでありながら知的な雰囲気が漂うとっても素敵な女性でした。(エファさんもそうでしたが、今振り返れば、今回視察でお世話になった方々どなたも、同様の印象を受けました。)
エファさんからは、原子力発電が危険であることはもちろん、近い将来に底がつく資源であることや、いわゆる“核のゴミ”問題について語られ、また同時に、自社の実績を基に、経済とエコロジーは両立が可能であることが説明されました。
例えば、下図上段の表は0の所が現在の時点を表し、横が時間軸、赤い線が人間の一生。
一番下の赤い線は、わたしたち個人に置き換えて考えることができる表になっています。
一つ上が子どもの世代、その一つ上が孫の世代。
自分が生きているうちに石油は枯渇し、子どもの生きている時代に原発の原料であるウランが枯渇。
あと3つ上の世代に行けば、石炭が枯渇する。と言う時代になるだろうという事が説明されます。
その下段は、上段の表を縮めたもので、仮に4,500年前~5,000年前にファラオの人たちが、一つの原発を4年間動かし、その使用済み核燃料から1,000kgのプルトニウムが生まれた場合、現代でも877kgのプルトニウムが残っているという状態になることが表されています。
「原発の危険性を説明するのに、チェルノブイリや福島、スリーマイル等の事故を挙げる必要はありません。原発が稼働している、そのこと自体が破滅的な状況を巻き起こしているのです。」
「数百年後には化石燃料も枯渇し、もしかしたら電気そのものを使わない時代になっているかもしれないが、そういう時代になったとしても核燃料のゴミというものは残り続けていくことになります。」
「プルトニウムの半減期は2万4千年です。2万4千年経つと放射線量が半分に減ります。また2万4千年経つともう半分に減ります。約3万年前はネアンデルタール人が生活していた時代と言われています。この先、一体誰が何万年も大量の放射性のゴミを安全に管理するのかという事を皆さんに考えて頂きたいのです。
こうしてご覧頂いて、原子力による発電がいかに馬鹿げた事であるかをご理解いただけたかと思います。」
「私たちは、世界中で100%再生可能なエネルギー資源で自分たちを賄っていかなければなりません。なぜなら、石炭にしろ、石油にしろ、ウランにしろ、そのうちに枯渇するからです。」
当時、市民活動の中にあったウルズラさんたちは、
活動をしながらも原発で作られた電気を買わなければいけない。
しかし原発で作られた電気は使いたくなかったので、自分たちで電気を作り購入して販売する
という市場の法則にのっとり、市場の中で勝負をする道を選んだそうです。
「家庭の電力は賄えても、企業や工場生産の電力を賄うのは無理だ」という声もあるそうですが、チョコレートで有名なリッター・シュポルトというドイツの大企業である顧客を例に挙げ、この先あらゆる枯渇性資源が底をつこうとしている中で、大きな会社でも再生エネルギーで賄うことが十分に可能であると言うことが証明されました。
EWSの顧客は現在約15万人。
2009年から協同組合という形をとり、軍需産業や原子力産業に出資するのではなく、環境のことを考えている企業に出資したいという、約3,000人の共同出資者のもと運用。
従業員数は約100名で、近隣地域では3番目に雇用を生み出すまでの企業に成長しています。
その後、文化ホールを出て、とある教会へ案内してくれることになりました。
教会へ向かう途中、EWSステッカーを貼った車などがあり、地域住民にいかに密着しているか、ということが窺えます。
教会へ到着すると、その屋根には一面にソーラーパネルが設置されていました。
-1998年、「議論しているだけではなく、何か行動を起こそう!」と、数多くの市民を巻き込み、教会の屋根にソーラーパネルを設置することになりました。
設置にあたり、当時とても高額だったソーラーパネルの資金集めだけではなく、様々な団体・行政から認可を得ることが必要でした。
ほとんどの認可は、彼らが責任を持ってやっているということが明確だったので、問題なくおりたそうですが、ある日、役人がやってきて、こう言ったそうです。
「この教会は文化財保護指定をうけなければならない。」
寝耳に水だったシェーナウの市民たちが
「それは一体いつからだ!」と問うと
「たった今からだ!」と。
例えば、東ドイツにある築500年以上の教会は、地下に褐炭や石炭が埋まっていることが判明すると、取り壊されるたり、基礎ごと持ち上げて移転するなどの措置をとられたそうなのですが、ソーラーパネルを取り付けると申請した途端に、たった数十年ほどしか建っていない教会が文化財保護指定をうけることに。
市民側はどう抵抗しようか考えた末、当時「バーデン革命」150周年であったことに合わせて「太陽の革命」と名付け、市長や牧師さんも加わり教会までマーチをして1枚のソーラーパネルを設置、送電をするというイベントを行いました。
創造主が太陽の力で電気をつくる、太陽の恵みを使うという考え方により、信心深い住民からも反対の声はあがらず、大々的に報道されたこともあり数日中に文化財保護庁から許可がおりたそうです。-
「ただ行政の言うことを聞いていただけでは、こういう結果にはならなかったでしょう。何か行動を起こすときは、抵抗や反逆の意思を持つことも必要なのです。
今となってみれば、ソーラーパネルをつけ電気を売る、ということは大したことがないように思えますが、当時の牧師さんは職を失うという、大きなリスクを負うことになりました。
私(エファさん)は個人が大きなリスクを負ってでも、何か大きな、いいことをしようという、その意志に敬意を表したい。」
今、私たちが当時のシェーナウ市民と同じ事をしても、現在の日本において、同様の効果は得られないかもしれません。
それまでには、まだまだ乗り越えなければいけない壁が、多く、そして高く、立ちはだかっているように感じます。
そして何よりも、彼らの様な行動を起こすには相当な決断と勇気を要します。
そう感じながら何も出来ずにいる私にとって今回の訪問は
『シェーナウの想い』を観賞した時に感じた、急かされながらも、励まし背中を押されるような
日本のエネルギー問題の解決に向けて、先駆者を羨んでいるだけではいけない、私たちに出来ることは決して少なくないのだという想いが、より深く、刻まれる経験となりました。