2011年4月29日から5月6日までの8日間、神奈川・東京の有志の弁護士や事務員等で石巻へ。ピースボートにお世話になり、「ピースボート内弁護士グループ」として地元の社会福祉協議会へ登録し、石巻専修大学にテントを張り、ボランティア活動を行ってきました。
弁護士10名をはじめ、総勢16名が参加した今回のボランティア。私たち武蔵小杉合同法律事務所の事務員2名は2泊3日で参加しました。
日帰りの人から、7泊8日滞在した神原弁護士まで、「それぞれができることを」、「すこしでも被災地の皆さんに協力できるように」、との思いで計画された今回のボランティア。私たち2人は、物資や車の事前準備を担当、現地へは5月3日~5日の3日間滞在しました。
テントや寝袋、発電機などはレンタル用品店で手配しました。テントを借りるのは初めてのことでしたが、最近はいろいろな物がレンタルできることに驚きました。手続もインターネットで簡単にできます。水や非常食、カセットコンロに鍋、長靴やマスク、防寒具にレインウェア・・・原則、滞在日数分の食事は各自で用意するようお願いしましたが、現地の様子がわからない中での準備は難しく、大荷物になってしまいました。
3日、新幹線で仙台へ。駅で弁護士2人と合流し車を借り4人で石巻へ。「ボランティア渋滞」などと新聞でいわれており心配していましたが、ほとんど止まることなく、1時間足らずで石巻河南で高速を降りました。
市街は一見普通のようすですが、民家の前に土嚢が積んであったり、わずかに臭いが残っていたり・・・。そんな街並を見ながら石巻漁港へむかいました。
海沿いは景色が一変します。
漁港では、あらゆるものが破壊されていました。臭いも強烈です。巨大なタンクが転がっている様子には目を疑いました。
しかし、どうにか車が通れる道ができており、おそらく加工場のものであろう冷蔵庫や畳などが分別されて積んであります。震災から50日間、地元の人々、ボランティアの皆さんの大変な力を感じます。
それにしても、あまりに広範な津波の被害、がれきの量です。わたしが真っ先に感じたのは
「がんばろうなんていえない」
ということでした。
石巻地方で亡くなられた方は3000人を超えると聞きました。命が助かった方々の大変多くが家族を亡くされ、家を流されています。
人によって感じ方は様々だと思いますが、今これ以上がんばれないよ、がんばらなくていいよ、という思いが胸を満たしていきました。
写真:先日の事務局コラムに掲載したトラックがそのままだった【4月17日、石巻市へ】
万石浦近くのスーパーで、地元で活動する「NPO法人フェアトレード東北」の代表理事の布施龍一さんと落ち合い、石巻市の中でもとくに支援の手が届いていないという牡鹿半島を案内して頂くことになりました。
(つづく)
写真(上):イオンスーパーの様子
写真(下):布施さん(真ん中)に案内して頂くことに