『法と民主主義』2014年2・3月号(第486号)に、神原弁護士の論考が掲載されました。
以下、原文ママ転記します。
ヘイトスピーチとこれに対する「カウンター」について
弁護士 神原 元
1 はじめに
「ドイツ東部ドレスデン(Dresden)で同市の大半が廃墟と化した第2次世界大戦中の連合軍爆撃から65周年を迎えた13日、極右ネオナチが計画していたデモ行進を市民グループらが「人間の鎖」を作り自力で阻止した。この日、追悼集会を企画したネオナチ団体6400人あまりがノイシュタット(Neustadt)駅前に集結。数人が演説を行った後、デモ行進に向かおうとしたが、市民団体メンバーら1万2000人の「人間の鎖」に行く手を阻まれた。」【2010年02月15日 AFP】
ドイツ・ドレスデンにおけるネオナチに対する市民の抗議活動を伝えるAFPの報道。以前であれば格段の注意を払わなかった記事だが、今となっては身近に感じる記事である。2013年2月9日以降、私が日本版ネオナチである「在特会」に対する市民による抗議活動(以下、現場での語法に従い「カウンター」と呼ぶ)に参加しているからだ。
本稿は、2013年2月以降、新大久保を中心に展開された「ヘイトスピーチに対するカウンター運動」を主に私の体験に基づいて素描し、「ヘイトスピーチにどう向き合うべきか」という論議の参考にしていただくことを目的とする。
2 「2013年カウンター」の始まり
始まりはTwitterだった。首都圏反原発連合のリーダーの一人として有名な野間易通氏(著作「金曜官邸前抗議」「在日特権の虚構」)は、2013年1月、Twitter上で「2月9日に在特会が新大久保でデモをやる。抗議をしよう」という趣旨のツイートを行った。この呼びかけに応じた市民が後に「しばき隊」と呼ばれる市民であり、2013年カウンターの主役たちであった。
在特会の正式名称は、「在日特権を許さない市民の会」(会長は桜井誠)。日本国内に居住する在日韓国・朝鮮人の「在日特権」に反対する等と称し、周辺団体とともに「行動する保守」と称するグループを形成して、急成長を遂げていた。
在特会ら「行動する保守」グループは、やがて首都圏屈指のコリアンタウン、新大久保に狙いを定めて活動を開始した。2012年8月には、新大久保の韓流料理店街である「イケメン通り」に桜井誠とその仲間が出没し、「日本人なら韓国人の店で買い物なんかするな」と叫びながら店の営業を妨害して回る映像がYouTubeに残されている。彼らのいう「お散歩」(その実態は韓国店に対する嫌がらせと営業妨害)だ。本格的なデモは、翌2013年1月12日に行われた「韓流にトドメを!反日無罪の韓国を叩きつぶせ国民大行進in新大久保」デモが最初だ。朝鮮人を叩き出せ」「締め殺せ」と叫びながら歩くデモ隊。Twitter上では主にK-POPファンの女子高生を中心に、一斉に非難が上がったという。
その在特会が再び新大久保でデモを行うという。既に金曜官邸前抗議で実績をあげていた野間氏は、「しばき隊結成の機は熟した」とみたのだろう。ただし、当初、しばき隊の目的は、デモの後に行われる「お散歩」を阻止することとされた。
2月9日午後。大久保公園を出て職安通りをわたるデモ隊を、私はドン・キホーテ新宿店の前で見た。そのときの衝撃は忘れられない。「よい韓国人も、悪い韓国人もみんな殺せ」「朝鮮人、首つれ、毒のめ、飛び降りろ」等と書かれたプラカード。「こ~ろせ、殺せ、朝鮮人」というシュプレヒコール。呆気にとられた私はすぐ近くにいた警官に抗議した。「営業妨害じゃないか、すぐ止めさせろ」。警官は無表情でこう答えた。「許可を得ているので違法じゃありません。邪魔しないでください」。デモ隊は明治通りを曲がり、韓流店がもっとも密集する大久保通に入る。そこで、デモ隊のヘイトスピーチはさらにボルテージを上げる。通行人らも、呆然とデモを眺めるしかなかった。
デモが終わった4時過ぎ、在特会のメンバーは、「イケメン通り」を目指して職安通りを東に向かった。新宿職業安定所前付近で、しばき隊が立ちふさがり、彼らの行く手を塞ぐ。両者が揉みあいになり、警官隊が介入して両者に解散を命じた。在特会による「お散歩」は阻止され、しばき隊は最初の成果をあげた。
3 多様化する「カウンター行動」
在特会ら「行動する保守」は、さらに新大久保を狙うデモを継続した。これに対し、2月17日のデモでは、沿道に立って、デモ隊に向けて「仲良くしようぜ」等と書かれたプラカードを掲げ、直接抗議する人々が現れた。社会人学生の木野寿樹さんが呼びかけた「プラカ隊」だ。2月17日の時点では、プラカ隊は、まだ少人数で静かに抗議する集団に過ぎなかった。ところが、その人数は徐々に増え始め、3月17日のデモでは、人数でデモ隊を圧倒するようになる。これをデモ側が嘲笑する。怒ったカウンター市民が「帰れ、帰れ」とコールして返す。デモ隊のヘイトスピーチは徐々に「帰れ」コールにかき消されるようになっていった。
カウンター行動も徐々に多様化、多彩化するようになっていった。もっともすばらしかったのは3月31日のカウンター行動だった。ある市民は、「(韓国と)仲良くしようぜ」「排外主義くたばれ」「差別はやめろ」等と書いたプラカードを持って沿道に立ち、差別デモ隊に抗議した(前記「プラカ隊」)。ある市民は、「憎悪の連鎖は何も生まない」等と書かれた横断幕を掲げて差別デモ隊に抗議した(通称「ダンマク隊」)。ある市民は、沿道で、「差別主義者は帰れ」「在特会帰れ」等と、差別デモ隊に抗議の声をあげた。ある市民は、差別デモのコースを変更させ、新大久保を差別デモから守るために署名運動を始めた(通称「署名隊」)。ある市民は、沿道の店舗に向けて「これから差別デモが通過します。」等と書いたプラカードを見せて歩き、沿道の店で働く朝鮮・韓国籍の店員らに対し、差別は日本人の総意ではないこと、多くの市民が人種差別に反対していることをアピールした。ある市民は、「好きです。新大久保」等と書かれた風船を通行人に配り、差別デモのために殺伐とした街の雰囲気を少しでも柔らかなものにしようとした。ある市民は、ゲイパレードのような恰好で、差別デモ隊の前で踊りを踊り、デモ隊をからかった。さらに、ある市民は、「なかよくしようぜ」のプラカードを貼った車を差別デモ隊の後に走らせ、明るい音楽を流しながら、スピーカーで「人種差別はいけません。人と人は国籍に拘わらず仲良く生活するべきです。」などとアピールした。新大久保通りのオーロラ・ビジョンには、ちょうどデモが通りに差し掛かるタイミングで、ヘイトスピーチを批判する識者の映像が流された。
まさにカウンターの勝利であった。デモ隊の2倍、3倍の人数の人々がデモ隊を包囲し、「帰れ」を唱和した。デモ隊のヘイトスピーチはカウンターの声にかき消され、うわずったデモ隊のシュプレヒコールは、聞いていて哀れなほどであった。
常にカウンターの現場に足を運んで下さっていた、有田芳生議員は、その著作(「ヘイトスピーチとたたかう!」)に次のようなエピソードを書いておられる。
「ある女性は、在特会のデモが通り過ぎたあと、びっくりしている通行人に『お口直ししてください』と言って小さな袋を手渡しています。(中略)袋には『仲良くしようぜクッキー』と書いてあり、包み紙にはこんなメッセージが印刷してあります。『隣人を嫌う悲しい人たちに負けず、国籍・文化の違いを超えて仲良くできますように、祈りをこめて』。中を開けると、可愛いらしい形のクッキーが2つ並んでいます。ひとつはさくら、もうひとつは、韓国の国花であるむくげの花びらです。」
ここにカウンターの本質がある。カウンターには、組織やリーダーの指導があるわけではない。カウンターは「差別は許せない」という市民のそれぞれの思い、マイノリティに対する共感と、それぞれの創意工夫が集まって成立したものである。そこには、国境を越えた市民の連帯に向けた熱い想いがある。
4 動き出す世論と当惑する在特会、そして「東京大行進」へ
カウンターの盛り上がりを受け、在特会に対する批判の世論も動き始めた。
この問題に最初に鋭く反応し機敏に行動したのは、参議院議員有田芳生氏であった。有田氏は、3月14日に、参議院会館講堂で「排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会」を開催した。
マスコミも反応を始めた。3月16日、朝日新聞は、石橋英昭記者の署名入りで「『殺せ』連呼 デモ横行」という記事を掲載した。東京新聞は、3月29日付けで「ヘイトスピーチ 白昼堂々」とする佐藤圭記者の記事を掲載、毎日新聞も3月18日夕刊に「デモ目立つ過激言動『殺せ』『叩き出せ』」を掲載した。同新聞ではこの問題での連載も始まった。
我々弁護士も動いた。3月26日、私は、有田議員や「署名隊」の金展克氏とともに6000名を超える署名を携え東京都公安委員会を訪れて、デモコースの変更を訴えた。同29日、梓澤和幸弁護士の呼びかけで11人の弁護士が結集し、警視庁への申し入れと人権救済の申し立てを行った。申し入れ及び申立の趣旨は、「在特会のデモに対し、警視庁は、行政警察権限を行使して、法益侵害を予防せよ」というものであった。この申し入れの様子は、同日夕方、NHKが首都圏ニュースで放映した。在特会を批判する、最初のテレビ報道であった(NHKは5月31日に「ヘイトスピーチ」に関する特集番組を放映している)。
やがて、在特会は、デモの告知に「殺せ等のコールは不用です」と記載せざるを得なくなっていった。デモ参加者は目に見えて減っていった。彼らの怒りはカウンターに向かっていった。「朝鮮人を殺せ」に替わって「しばき隊を殺せ」「野間を殺せ」というコールが始まった。愚かな彼らにとって、怒りの矛先は誰に向けてもいいのである。
6月16日、デモ隊とカウンター側は両者の衝突でそれぞれ4名の逮捕者を出した。デモ隊の逮捕者のうち2名はデモ中にカウンターに暴力を振るったというもので、とりわけ悪質であった。これに対して150名以上の弁護士が代理人となり、在特会デモ参加者に対して刑事告訴を行った(私は、カウンター関係者の刑事弁護に奔走することになる)。
6月30日、デモ隊は、警察の指導でデモコースの変更を余儀なくされた。それでも、カウンターは容赦しなかった。デモの出発点である大久保公園周辺に「人間の鎖」を作り、デモの出発を阻止しようとした。デモの通過は阻止できなかったが、デモ隊の動揺は明らかであった。
7月7日、予定された在特会のデモが突然中止になった。理由は定かでないものの運動団体であれば、事前に告知されたデモの中止は致命的なはずだ。ここにも在特会の動揺が手にとるように分かる。
そして、2013年カウンターの集大成ともいうべき行動が大阪と東京で行われた。一つは、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」と9月22日に東京で行われた「差別撤廃 東京大行進」である。後者は50年前に行われたキング牧師の演説「I Have A Dream」で有名な「ワシントン大行進」にあやかり、約3000人の市民を集めてヘイトスピーチ反対を訴えるデモとして行われた。その実行委員代表団は、10月21日に「人種差別撤廃条約の誠実な履行」を求める署名を日本政府に提出した。
東京都庁前では、毎週月曜日、東京都に対してヘイトスピーチへの実効的な措置を求めて街頭宣伝を行う「反差別東京アクション」も始まった。
カウンター行動は、単なる「デモへの抗議」を超えて、新たな高みへと飛翔しつつある。
5 カウンター行動の意義とは
ここまで素描してきた「カウンター行動」の意義はどこにあるのか、まとめたい。
第1に、カウンターは、ヘイトスピーチの被害を低下させ、被害者の痛みを軽減する役割を有する。カウンターの声によってヘイトスピーチがかき消された状況については既述した。カウンターの存在によって在特会の怒りはカウンターに向けられ、結果として被害者に向けられる憎悪の量は減少した。カウンターの存在は、結果として、在日の人々が孤立することを防ぎ、マジョリティーである日本人とマイノリティである在日との連帯のたたかいを可能にしたのである。
第2に、カウンターは、差別デモの広がりを防ぎ、萎縮させ、縮小させる効果を生んだ。「帰れ」の罵声を浴びながらデモに参加するのは勇気のいることである。差別デモの参加者が伸び悩んだこと、「殺せ」などの発言にブレーキがかかったことも既述のとおりだ。
第3に、カウンターは、ヘイトスピーチ問題の本質を世論に訴え、啓蒙する役割を果たした。マスコミがヘイトスピーチについて批判的に取り上げ始めたのもカウンターの盛り上がりがあったからである。
第4に、日本人の良心的な声を世界に向けて発信し、国際連帯の気分を醸成する効果である。在特会によるヘイトスピーチは海外のメディアでもくり返し取り上げ、とりわけ隣国・韓国のメディアは特派員を新大久保に派遣して取材を行ったが、韓国メディアは差別デモと同時にカウンターの存在をも取材するのが常であった。私自身、何度も韓国メディアの取材に応じている。
第5に、カウンターには、新しい政治参加のモデルを提供し、民主主義を豊かにした点にも意義がある。日本社会は、これまで、人種差別に直接抗議するという経験をもたなかった。カウンターは、新しい政治参加のモデルを提供し、これまで政治に関心がなかった層も巻き込んで、民主主義の新しい地平を切り開いたのである。
6 ヘイトスピーチ規制に寄せて
「法と民主主義」1月号は、ヘイトスピーチの法的規制について多数の論考が寄せられた。本稿に記載した、カウンター活動は、法的規制とはいかなる関係に立つのか。
結論から言えば、カウンターは法的規制のオルタナティブではないし、法的規制はカウンターのオルタナティブではない。仮にヘイトスピーチ規制が法的に行われてもカウンターの必要は否定されない。
冒頭に掲げたドイツ・ドレスデンの出来事を見ればそのことは明らかだ。ヘイトスピーチを極めて厳しく取り締まっているドイツでも、ネオナチは根絶されていないのだ。同じく法的規制のあるイギリスにも、古く1977年8月13日、ロンドンのルイシャム地区で、極右グループの差別デモを市民が集まり阻止した歴史がある。2月頃、知人がカナダ大使館の高官の前で在特会デモを話題にすると、「日本にはカウンターデモがないのか?」と聞かれたという。今まで日本になかったのは、差別デモではない。これに対する「カウンター」の存在だったのである。
法規制があってもカウンターが必要なのは何故か。端的に言えば、法律で人の心は変えられないからである。差別思想を法規制で根絶やしにはできないのである。差別デモは法規制の網の目をかいくぐり、形式的に「合法的な」デモとして組織されるだろう。在特会はすでに「拉致被害者を帰せデモ」だの、「通名制度反対デモ」だの、見せかけの政策要求を掲げてデモを行っている。そのような「デモ」を完全に排除する法律の制定は不可能だ。だから仮にヘイトスピーチの法規制が成立したとしても、カウンターのたたかいは続くだろう。
そうであるならば、弁護士の役割も明確だ。差別団体と既存の法律をフルに活用してたたかうとともに、カウンターの「戦士」たちとの連帯を続けるのである。途は遠い。しかし、民衆のためにたたかう弁護士の仕事に終わりはない。
以上
(法と民主主義 2014年2・3月号(第486号)掲載)