ある「無罪」事件~検察権力の劣化か?

1 暖をとるため?

「それで、あなた、どうして火を付けたの?」
泥酔した男性が、居酒屋のシャッター前に火のついた段ボールを置いたという事案だった。逮捕時の罪名は現住建造物放火罪。被告人の男性(以下、男性という。)は段ボールを燃やした事実を認めていた。
最初の接見で、私は、誰もが尋ねるであろう、当然の問いを男性に投げかけた。男性は、寒かったので暖をとろうとした等と答えた。
事件発生は2006年11月22日深夜。
男性は生活保護を受給しており、帰る家がないわけではない。何故、居酒屋の前で「暖をとる」必要があるのか。
私は納得できないまま、接見室を出た。
同月、検察官は「入店を断られた腹いせに、店に火をつけて店主を脅迫しようとした」として、男性を「脅迫罪」で起訴した。被疑者弁護に続いて私が被告人国選弁護人を担当。初公判で、男性は「段ボールに火をつけたことは事実だが、居酒屋の店主を脅迫する意図はなかった」として無罪を主張した。この段階で、まさか、この事案が私にとって第2号の「無罪事案」になるとは思ってもいなかった。

2 「二度とやらないと思う。」

警察官2名、目撃者1人の証言が終わった後、検察官は被害者とされる居酒屋店主の女性(以下、「女性」という。)を証人申請した。ところが、公判当日、女性は法廷を「ドタキャン」した。何かある。私はそう感じて動き出した。
周知のとおり、脅迫とは人を畏怖せしめるに足りる害悪の告知をいうが、そこにいう「害悪告知」とは未然の害悪の通知であることを要し、過去の加害行為の通知であるのみでは犯罪は成立しない(「火をつけるぞ」は脅迫だが、「火をつけたぞ」は脅迫にならない。)。女性は次の法廷に出頭し、「酒に酔って馬鹿なことをしたのだと思う。」「二度と同じことはやらないと思う」と証言した。被害者は「将来の害悪の告知」とは考えなかった訳だ。結果的にこれが「無罪」の決め手となった。
女性の証言がなされた直後、私は勾留の「取消」を請求した。男性は生活保護受給者であり、保釈金の当てがなかったからだ。裁判所は私の請求を受けて勾留を取り消し、男性は釈放された(取消は2007年7月17日、勾留は約10ヶ月)。公判中の勾留取消も初めての体験であった。否認事件での「勾留取消」も初めてだ。何か違う、という手応えを感じ始めた。

3 検察側主張の迷走

ところで、女性の法廷証言から、女性は「脅迫」現場にいなかったことが明らかになった。男性が居酒屋への入店を断られたのは夜8時、店が閉まって女性が帰宅したのは夜10時、事件発生は深夜零時、男性は直後に逮捕されている。そうすると、男性は無人の居酒屋の前で段ボールを燃やした事実で「脅迫」とされたことになる。私は、弁護側冒頭陳述で被害者が「脅迫」を了知していないと指摘、脅迫罪は既遂に達していないと主張した。
これに対する検察官の応答はぶざまであった。翌朝7時頃、警察官が女性に男性の逮捕を告げた時点で女性が「害悪の告知」を了知したというのである。「犯人を逮捕しました。御安心下さい。」と告げた警察官の言葉で、脅迫罪が成立する(!)。しかも、検察官は、上記の事実を“立証”するために、警察官の証人尋問を申請し、起訴から1年経った2007年10月には、訴因変更まで行った。起訴する際、その程度のことも検討していなかったのか、私は検察権力の「劣化」を感じ、全国で相次ぐ「無罪判決」の原因を見た気がした。

4 無罪判決と評価

2008年1月25日、裁判所(加登屋建治裁判官)は被告人に対し、無罪を言い渡した。判決の中で裁判官は、本件で、男性の行為(火のついた段ボールを店の前に置く行為)が将来の加害行為の告知なのか、単に過去の行為の通告に止まるのか、明らかにされていないと述べ、犯罪の証明が不十分であるとした(なお、「寒かったから暖をとろうとした」という男性の主張は「不自然」として退けられている。)。判決言い渡し後、裁判官は、「なお、付言する」として、検察官に対し、検面調書の作成を怠ったことについて苦言を呈した。確かに、2号書面が提出されていれば、本件はどうなったか分からない。古いタイプの裁判官は、若い検察官に、調書の重要性を説いたものと思われる。検察権力の劣化。この事件の本質はそれに尽きる。
翌日の毎日新聞は、裁判官の言葉を捉え、「被害者調書ずさん」というタイトルで、無罪判決を報道した。このタイトルだと、「調書裁判」に賛成しているようで、甚だ遺憾である。もっとも、検察官が被害者に早期に面談していれば、そもそも起訴の必要性のないことに気づくはずだったのであり、その意味での、捜査の杜撰さ、手抜き、技量不足を指摘した記事だと善解することは不可能ではない。