米兵犯罪を許さない~山崎裁判いよいよ結審

1 横須賀米兵強盗殺人事件

 2006年1月3日午前6時30分頃、神奈川県横須賀市において、米海軍空母キティホーク乗務員の米兵(当時21歳)が、通勤途中の佐藤好重さん(当時56歳)を殴り殺して現金を奪う強盗殺人事件が発生した。
 夜通し酒を飲み、手持ちの金を使い果たした犯人の米兵は、出勤途中の佐藤さんから金を奪おうと考え、道を尋ねるふりをして佐藤さんに声をかけた。佐藤さんが抵抗すると、米兵は佐藤さんを殴って押し倒し、馬乗りになって両手で顔面をぼこぼこに殴り、さらにビルに連れ込んで暴行を続けた。倒れている佐藤さんの襟首を掴んで、壁の角に力一杯叩きつけ、振り回し、フェンスにぶつけ血だらけになっている顔面を足で踏みつけ、身体を踏みつけるというすさまじい暴行が10分間近く続いた。佐藤さんは6本の肋骨が折れ、それが内蔵に突き刺ささり、血まみれの状態で息絶えた。夫である山崎正則さんが遺体を確認したとき、佐藤さんの顔は変わり果て、もとの面影はなかった。

2 繰り返される米兵犯罪

 防衛省の統計によれば、1952年から2006年度までに米兵が起こした事件・事故は20万4785件(1972年返還前の沖縄の分を除く)で、日本人1081名の命が奪われている。
 沖縄に次ぐ第二の基地県である神奈川県では、イラク戦争と重なる2003年から2005年にかけて米兵犯罪は増加傾向にあり、横須賀市内の米軍人・軍属等による犯罪検挙件件数(薬物事犯を除く)は、2002年の7件が、2004年には24件、2005年には31件と年々増加。そして、2006年1月に、本件事件が発生した。
 米兵犯罪の特徴として、深夜早朝の時間帯の、飲酒がらみの粗暴犯が多いことが挙げられる。
 
 ベトナム戦争に従軍した元海兵隊員の故アレン・ネルソン氏は、自らの従軍体験を語った著書において、兵隊が夜になって街に繰り出す目的は、「酒と喧嘩と女」だと述べ、毎日、「殺し」という暴力を仕込まれている兵隊が、街に繰り出すとき、暴力性だけを基地に残しておくわけにはいかない、兵士とともに「暴力」が街を横行するのだと指摘している。
 
 軍隊の目的は、人殺しであり、軍人は、人殺しのための訓練を日夜受けている。米軍では、第二次世界大戦のときに、発砲命令に対して約2割程度の兵士しか実際に発砲ができなかったという研究報告を受けて、兵士が効率的に人を殺せるようになるための数々の研究を積み重ね、その成果を軍人の訓練に反映させている。米軍に入隊する若者は、「ブートキャンプ」と呼ばれる新兵訓練所で、ためらわずに人殺しができるように訓練を受けて、一人前の軍人=殺人マシーンへと作り上げられていくのである。
 暴力性を身につけた軍人が、厳しい任務のストレスを発散するために「酒と喧嘩と女」を求めて街に繰り出した挙げ句、犯罪行為に及ぶということが、ベトナム戦争の時代から、現在まで延々と繰り返されてきた。 

 飲酒絡みの犯罪が多いことは、米軍当局も自認している。米国防総省の「軍人の品行に関する健康調査報告書」(2003年10月)は、1998年以降、米兵の飲酒に伴う不祥事が特に海軍や海兵隊において増加し、その原因としてイラク戦争の影響があり、給料の低い階級の軍人が大量に飲酒する傾向が高いと分析している。
 犯人の米兵は、横須賀基地を母港とする空母キティホーク(米海軍第7艦隊)の乗組員であり、空母での厳しい任務や給料が低いこと、年末に休暇をとれずに帰国できなかったことなどに不満を募らせ、事件を起こす前からいきつけのバーに入り浸って朝まで飲酒を繰り返す生活を送っていた。
 このような米兵が、飲酒の上本件犯行に及んだことは、決して偶然の出来事ではない。本件は、起こるべくして起こった悲劇なのである。

3 立ち上がる被害者

 日米地位協定では、米兵が「公務中」に犯罪を引き起こした場合、米軍当局が優先的に裁判をする権利(第1次裁判権)を持ち、「公務外」の犯罪については、日本が第1次裁判権を持つとされている。しかし、実際には、日米政府の間で、日本が第1次裁判権を持つ公務外の米兵犯罪についても、日本はできる限り裁判権を行使しないという密約が交わされていた。そのため、日本の警察は、公務外の米兵犯罪についてまじめに捜査を行わず、米兵犯罪の被害者は泣き寝入りを強いられてきた。

 しかし、夫の山崎さんは、泣き寝入りすることなく、犯人の米兵と米軍、日本政府の責任を問うために2006年10月、民事の損害賠償請求裁判を提訴した。米兵に賠償責任があることは当然であるが、米兵個人の責任にとどまらず、米兵を管理監督する米軍、そして、日本に米軍を駐留させている日本政府の責任もあわせて追求している点が、この裁判の特徴である。
 
 米軍の監督義務違反が認められるためには、米軍が本件事件の発生を予見すべきであったと言えること、深夜の外出規制や飲酒規制、基地周辺のパトロールなどの犯罪防止策が可能であるのに米軍がこれを怠ったことなどを主張・立証することが必要である。
神奈川、東京、沖縄などから集まった弁護団は、過去の米兵犯罪を調査して証拠化し、裁判所にわかりやすいように、神奈川県内の米兵犯罪マップを作ったり、ブートキャンプの訓練のビデオや、戦争からの帰還兵が精神を病んで自殺したり凶悪犯罪を引き起こす状況を取材したドキュメンタリー番組のビデオを提出したりと、工夫を重ねてきた。
 また、原告の山崎さんは、全国で精力的に裁判の支援を訴え、学習会や署名、裁判傍聴などの支援の輪は確実に広がっている。

 2009年5月に言い渡された第一審横浜地方裁判所の判決は、本件のような公務時間外の犯罪であっても、米軍が米兵に対する監督権限を行使しなかったことが「許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる」ときには米軍の賠償責任を認めるという一般論を示しつつ、本件では米軍の監督義務違反を認定しなかった。(米兵個人の損害賠償責任を認めた一審判決は確定。山崎さんに対して、1200万円の慰謝料の支払いが命じられた)。

 山崎さんが控訴し、東京高裁で審理を重ねてきたが、2011年6月16日にいよいよ結審。秋にも判決が言い渡される予定である。
 
未だ、公務時間外の米兵犯罪について、米軍の監督責任が認められた例はなく、繰り返される米兵犯罪をなくすために、本件裁判がもつ意義は大きい。
佐藤さんの無念をはらすためにも、勝利判決を勝ち取りたい。


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